こだわり

Urizun Qualities

琉球うりずん物産の歩み

当社は1973年創業1974年に法人を設立以来、豆腐ようとじーまーみ豆腐(ピーナツ豆腐)を作り続けてまいりました。歴史のある伝統お惣菜ですが、当時はまだ両方とも食卓では珍しく、味と名前を知ってもらうだけでも大変な苦労がありました。今日では他社の参入も相まってどちらもよく知られるようになり大変嬉しく思います。これからも美味しく手ごろな値段で健康的な食品を提供できるよう努力してまいります。

豆腐よう 商品化までの経緯

1973年、昭和47年創業

琉球うりずん物産は1973年、昭和47年に「豆腐ようを製造販売する」会社として創業しました。創業者の久高弘は、那覇市首里にあった味噌醤油会社の試験室長兼工場長として味噌・醤油の品質管理、製造管理の仕事をしていました。首里はご存知のとおり琉球王府のあった場所で、王の家臣達が住む高台地域と、湧き水が豊富な麓には中世の時代から泡盛・味噌・織物・工芸品を作る職人の街でもありました。

豆腐よう製造のきっかけ

当社創業当時の沖縄は、念願の日本復帰が実現し、これから多くの観光客がやって来ようとしていた時代でしたが、沖縄のお土産は食品では関税の安い舶来ウイスキーとチョコレート、黒糖やちんすこう位しかありませんでした。

どこにも真似のできない沖縄独自のお土産品が作れないだろうか?そのヒントとなったのが、復帰前にクロコダイル・ストアで大成功を収めていた実業家・照屋敏子さんから「豆腐ようという宮廷料理の珍味を研究してごらんなさい」との助言でした。彼女は単なる助言に留まらず、琉球王朝の国王・尚家に繋がる伊江男爵家の古老に取り継いでくださり、秘伝の製法を実際に聞きに行くチャンスを頂けたのです。

この出来事をきっかけに、久高弘は歴史に埋もれていた豆腐ようを独学で研究。味噌醤油づくりの発酵技術を応用して、品質を安定させた量産ノウハウを確立しました。その当時は地元沖縄でも一般的に知られていない豆腐ようをこれからの「新しい沖縄の味」として世の中に広めていきたいと、豆腐ようの製造販売を始めるべく独立を果たし、当社は豆腐よう製造の先駆者となりました。

創業時の豆腐よう

現沖縄県産業まつりで県知事賞を受賞

発表したその年の12月に「第20回県産品愛用週間・展示会」(現沖縄県産業まつり)で県知事賞を受賞。県内在住の歴史家、大学教授、郷土料理研究家、観光業者など様々な方面から絶賛されました。翌年には合資会社として法人化、会社としての組織体制を整えていきます。

県知事賞賞状

まったく売れなかった豆腐よう

久高弘が古い文献を探し出し、古老や料理研究家から話を聞き取りながら歴史に埋もれていた幻の味・豆腐ようは、こうして一般の人々に知られるようになっていきました。けれども豆腐ようはまったく売れませんでした。地元の人間ですら知らない昔の珍味を復元しても、食べ物として味も名前も知りません。1980年半ばまで当社社名の「うりずん」という古い季語も、地元の人間の大部分は知りませんでした。注文の電話より商品や社名について質問の電話のほうが多かったそうです。食品としてゼロからのスタートでしたので、当社は味をわかってもらうために大変苦労しました。

当時の壺入り豆腐よう

創業者の久高弘の夢

創業者の久高弘には、「豆腐ようを、福岡の辛子明太子のように、沖縄の特産品として県外の多くの人たちに食べてもらえるようにする」という夢がありました。そのために製造技術のパテントを取らずに、乞われたら誰にでも技術を伝授しました。今では多くの企業が参入して味や品質を競うまでとなりました。

歴史に埋もれた幻の味・豆腐ようを再現し、世の中に広めたという地元の食品の小さな歴史ですが、当社にとっては大きな誇りとなっています。

じーまーみ豆腐 商品化までの経緯

落花生で作られたお惣菜

じーまーみ豆腐は生の落花生をすり潰して豆乳を取り、でんぷんで固めたものです。沖縄県をはじめ落花生が作られていた西日本各地でご当地のお惣菜として食べられています。「じーまーみ」とは、沖縄の言葉で「地豆 (じまめ)」の意味です。落花生の花が落ちて、地中に潜って結実する様子を表しています。
今でこそ沖縄の食べ物として多くの人たちに知られている「じーまーみ豆腐」ですが、手間のかかる作り方と日持ちの悪さから、沖縄でも頻繁に食べる食品ではありませんでした。

1974年「じーまーみ豆腐」の工場製造と販売を開始

創業者の久髙弘は時代に埋もれた存在の「豆腐よう」を、発行技術を応用して沖縄初の大量製造販売を始めました。翌1974年には、同じく沖縄初の「じーまーみ豆腐」の工場製造と販売を開始しました。当時沖縄本島内でじーまーみ豆腐を作っている食品工場は皆無でした。久髙弘は、知人を介して台湾から練餡を作る機械を輸入し、作る手間が大変なじーまーみ豆腐製造へと応用して工場生産を果たしました。今でこそ様々なじーまーみ豆腐の製造会社がありますが、衛生的な品質管理でじーまーみ豆腐の大量生産ができるのも当社だけでした。

真っ白なじーまーみ豆腐

創業者の久髙弘は、製造販売を行いながら地道にじーまーみ豆腐の品質改良の研究を続けていました。現在では当たり前となっている「真っ白なじーまーみ豆腐」も、元来は芋くず澱粉を使い薄鼠色で日持ちのしないものでした。

そこで久高弘は様々な澱粉を使ってテストを試みました。ジャガイモ澱粉、コーンスターチ、米粉…複数の澱粉を混ぜてテストもしました。その結果、たどり着いた最良のものは、北海道・清里のジャガイモ澱粉(片栗粉)でした。他の地域のジャガイモではダメなのです。清里の澱粉を見つけた時には嬉しくて小躍りしたそうです。そうしてジャガイモ澱粉を使ったじーまーみ豆腐が軌道に乗り始めたころ、地元の生協から共同購入カタログ掲載のお誘いを頂きました。単発企画から始まり隔月・毎月と扱いの規模は大きくなり、毎週の定番企画で店舗にも毎日置いて頂きました。当初から常に求められたのは「安心・安全」。特に日持ちのしないじーまーみ豆腐を離島の組合員さんにいかに品質を落とさずに届けるか、当社はさらに工夫と研究をつづけました。また国内の落花生を使ったじーまーみ豆腐などにも挑戦しました。

食感が良く日持ちするじーまーみ豆腐

新商品の研究を続ける中で食感が良く日持ちのする(老化が遅い)タピオカ澱粉(当時はキャッサバ澱粉と呼んでました)を見つけて原料を切り替え、本格的な充填機械を導入し、衛生的に容器充填できる環境が整いました。
出荷先も小さな食料品店から県内大型スーパー、空港のお土産品店にも並ぶほどになり、後発のメーカーも現れ始めました。原料と設備の改善をきっかけに当社のじーまーみ豆腐は冷蔵で10日間は品質が保てるようになりました。現在の賞味期限は製造から15日間。現在も保存料は一切使っておりません。

うりずんのこだわり

Urizun Qualities 01

製法のこだわり

歴史ある伝統製法と
うりずん独自の旨味の追求

創業者の久高弘は、豆腐ようを「県外の人にも美味しいと食べてもらえる」味を目指して製造技術を作り上げました。うりずんの豆腐ようは創業当時から47年以上、製造方法も味も変わらず、まろやかで食べやすい美味しさを作り続けています。うりずんの豆腐ようの特徴は、まろやかで食べやすいのに発酵食品のコクと旨味が感じられることです。それは製造工程のほとんどを手作業で行い、熟成期間も半年ほどかかるという手間暇をかけて作り上げる旨味なのです。まるでチーズのような味だとも評されますが、豆腐ようの原料は全て純植物性。琉球王国の歴史が生み出した、スローフードならではの味わいです。

Urizun Qualities 02

原料のこだわり

創業当時から変わらぬ姿勢

うりずんの豆腐ように使われる島豆腐は「豆腐よう」用に特別に作られたもの。自社製造の特製米麹と酒精、水あめを使用し、発酵食品やお酒独特の甘みと旨味を加えます。仕上げに、紅麹色素の漬け汁に加えて上品な珊瑚色にしています。
一方、じーまーみ豆腐の原材料のこだわりは、原材料となる落花生。国産落花生を100%使用したじーまーみ豆腐の製造販売は当社だけです。その他のじーまーみ豆腐(150g、360g)には厳選した北米産・南米産の落花生を使用しています。化学調味料や保存料は一切使用していません。

Urizun Qualities 03

安心・安全な衛生管理と製造技術

安心・安全な食品づくりを第一とし
ひとつひとつの工程を丁寧に行う

平成20年(2008年)、当社は大きな試練を迎えました。生産数量の急激な伸びに製造現場が追いつかず、加熱温度と時間が不十分なまま大量に出荷したじーまーみ豆腐製品による大規模な食品事故の緊急連絡を受けました。同日のうちに操業を止め、24時間体制で県内外全ての出荷先に連絡を入れて廃棄処分と回収作業を行いました。間もなく大手生協側バイヤーと品質管理担当者が工場現場を訪れて、様々な問題点を指摘しました。それを受けて当社は約2週間操業を止めて工場の大規模改修を実施。同時にHACCP的な管理手法への取り組み、製造出荷にかかる全記録管理、他社に先駆けて各種検査証明や商品仕様書のパソコン作成・管理と迅速な提出ラインを作り、徹底した品質管理体制を再構築しました。 現在も当社は安心安全・美味しさにこだわる製品つくりを日々心がけております。

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